院長の木村です。
本記事では、高齢動物(犬、猫)の歯石除去のリスクをどう考えるのかについて解説していきます。
私たちと違い、毎日の歯磨き習慣が付いていない犬猫と歯周病は切っても切れない関係にあります。
歯周病を予防するために、悪化させないために定期的な歯石除去が必要なのは十分に理解できるところです。
しかし、歯周病に悩む多くの子はすでに高齢を迎えており麻酔が心配な方も多いでしょう。
高齢動物の歯石除去の是非について、安全性などの観点から順に考えてみましょう。
歯周病について
歯の周りの組織が破壊・吸収され最終的には歯を失う進行性の炎症性疾患です。
主原因は歯周病菌であり、プラーク(菌の塊)コントロールが進行スピードに大きく影響します。
歯周病が悪化すると歯肉の退縮や膿瘍形成が起き歯が脱落します。
重度に進行してしまうと、歯槽骨が脆くなり顎の骨折に繋がることさえあります。
また、歯周病菌が血液を通して心臓や肝臓などに悪影響を及ぼすこともあります。
歯石除去について
歯石除去治療は『スケーリング』とも呼ばれます。
全身麻酔をかけた状態で実施し、超音波スケーラーという機械によって固い歯石を除去していきます。
※2019年に報告された統計では、年に1回の歯石除去を受けた犬は死亡リスクが18.3%低下することが明らかになりました。
また一部の病院あるいはトリミングサロンなどでは無麻酔下での歯石除去をする場合もあります。
しかし、歯周ポケットを清掃できないため美観上の改善に止まる上、処置での怪我リスクが高いため当院では実施しません。
無麻酔歯石除去について詳しく知りたい方は以下の記事をお読みください。
【獣医師監修】犬猫の無麻酔歯石除去のメリットデメリットを解説
歯石除去と年齢
歯周病は2歳以上の80%の犬で何らかの兆候で出ると言われています。
自宅でのデンタルケアが進行防止には欠かせませんが、それでも大なり小なり症状が出ることは避けられません。
そのため、動物は生涯で2-3回程度は歯石除去をする必要が出てきます。
※進行が早い子は半年に1回の頻度で実施することもあります。
実施年齢のイメージとしては以下のようになります。
- 1回目:3-6歳
- 2回目:7-10歳
- 3回目:10歳以上
皆様が一番悩むのは10歳以上の高齢になってから歯石除去をするかどうかですね。
当院の実績
直近1年で50件の手術または麻酔下歯石除去を行いました。
実施した動物の年齢については以下の通りです。
- 平均値4歳9ヶ月
- 中央値1歳0ヶ月
- 最小値5ヶ月
- 最大値16歳1ヶ月
- 10歳以上 11件
これを更に麻酔下歯石除去の20件に限定すると以下のようになります。
- 平均値9歳2ヶ月
- 中央値7歳9ヶ月
- 最小値4歳0ヶ月
- 最大値16歳1ヶ月
- 10歳以上 8件
いかがでしょうか。
ご想像の通り?それとも予想外の結果だったでしょうか?
現時点での当院実績に関しては、施術後の明らかな血液検査の悪化やQOLの低下は経験していません。
また、全ての動物が歯石除去した後は日帰りしています。
しかしあくまでこれまでの実績の話であり、全ての動物がこれからも安全に施術できるとは限りません。
安全性について
さて、動物における麻酔の死亡率はASA全身状態分類別の報告では以下のようになっています。
※ASA:米国麻酔科学会
体調が良好〜軽微な異常グループでは麻酔後48時間死亡率が極めて低いですね。
犬:0.05%=2,000頭に1頭
猫:0.11%=900頭に1頭
逆に言うと体調が良好であっても、この確率分は麻酔事故が起きうる訳です。
一方、中程度以上の体調不良を起こしている動物では死亡率が跳ね上がります。
犬:1.33%=75頭に1頭
猫:1.40%=71頭に1頭
急に現実味を帯びた数字になりましたね。
昨年の当院実績は50件ですから、もしハイリスク症例ばかり麻酔をかけていたら1年半に1頭は麻酔後に亡くなってしまう計算です。
高齢動物でも安全に歯石除去をするには?
さて、一番大事な内容に入っていきましょう。
ここが本記事の肝になりますので、しっかりと読んでくださいね。
安全な歯石除去は安全な麻酔から
先述した通り、歯石除去自体は全身麻酔をかけて実施することを推奨します。
ということは、安全な歯石除去をするためには安全な麻酔が必要になりますね。
安全な麻酔をかけるためには以下の条件が必要です。
・動物病院側の麻酔に関する十分な知識
・慣れた麻酔方法と十分なモニター設備
・事前の動物の体調把握
動物の体調把握は極めて重要
前者2つは動物病院側の問題で、オーナー様がどうこうできる内容でないので割愛します。
さて、「動物の体調把握」について整理しましょう。
先の通り、麻酔死亡率は全身状態によって大きく異なります。
ここで言う全身状態の中で、見て分かるようなレベルはそもそも重症です。
それよりも「一見健康そうに見える動物の体調不良を見抜く」ことが大事です。
体調不良を把握しておけば、体調が悪いなりの麻酔のかけ方というものができます。
また、体調不良=リスクを正確に把握すれば、自信を持って麻酔をかけない別の治療を選択することもできます。
体調を把握するための麻酔前検査
当院では以下の通り、年齢ステージごとに異なる麻酔前検査を実施しています。
血液検査と胸部レントゲン検査を基本として、年齢ステージが上がるごとに追加検査を増やす形ですね。
他にも例えば心雑音が聴取されたら、ここに心臓エコー検査も追加します。
ただし、これは当院での検査手順であり「これが獣医学的に絶対に正解」という訳ではないので注意してください。
麻酔前の検査は幅広く行えば行っただけ、その動物の体調を正確に把握できます。
当院は比較的しっかり検査をするタイプの病院ですので、幅広く行いその分検査費用が高くなる傾向にあります。
もちろん費用面も考慮して項目数の調整することは相談可能ですが、削る分だけリスク評価が不確実になっていくのはご理解ください。
年齢だけでは判断しない
麻酔前検査の重要性に理解いただいたところで、最後に年齢とリスクの関係について説明します。
一般的な「高齢だから麻酔は危ない」という考え自体は間違ってはいません。
例え数値上、画像上に現れなくとも年齢経過による体力の衰え、臓器の衰えは必ず存在します。
しかし、それ以上に重要なのが先ほどから出ている『体調把握』です。
私個人としては18歳の健康な動物より、5歳の腎臓病が進行している動物に麻酔をかける方が怖いです。
なぜなら、年齢要因より全身状態のほうが麻酔死亡率に大きく影響を与えるからです。
逆に高齢であっても健康で、「歯石除去をしたほうが良質な生活を維持できる」と判断すれば実施します。
このように全ての動物で麻酔リスクと歯石除去のベネフィットを天秤にかけて考えるべきでしょう。
そしてその麻酔リスクを正確に評価するためにはどうしたらいいか?
もうお分かりですね。丁寧な麻酔前検査が大切です。
最後に
長い記事をお読みいただきありがとうございます。
最後に注意点だけ申し上げて終わります。
まず歯周病を進行させないために適切な歯石除去をしてあげることが健康に繋がる。
これは間違いありません。
対して、麻酔リスクというのは「年齢」とか「持病」とか単一の要素で決めるものではありません。
複雑に絡み合っている体の状態を麻酔前検査によって明らかにし、それを以てオーナー様と相談する。
これが我々動物病院の仕事です。
逆にオーナー様にして頂きたいのは、年齢だけで判断することなくまず動物の状態を検査で把握すること。
そしてその結果を踏まえてどう治療してあげるのがその子にとって最良なのかをかかりつけ医と相談して考えること。
誰しもが大切な我が子には健康的な生活を送ってほしいと願っていますからね。
本記事の内容が少しでも皆様の治療の参考になれば嬉しく思います。